ふちどり

後ろ見ながら前に進む、僕の日記。

冷やし担々麺事件

 

この事件が起きるまで、僕は、自分から好んで辛いものを食べない人間だった。

 

なぜなら、いかにも辛そうに見えるものを食べて、おいしいと思った経験がほとんど無かったからだ。辛そうなものはおいしくないもの、という式が頭にインプットされていた。


ここで冷やし坦々麺、いかにも辛そうな食べものである。

いつもは選択肢にすらない食べものだ。でも、ある時何となく勧められるまま食べたら、それはそれはおいしかった。

見た目どおりに辛いけれど、おいしかった。


なぜ僕は辛いものはおいしくないと思い込んでいたのだろう。これまで、「辛い」と「おいしい」が両立する可能性を何の疑いもなく否定していた。というかその可能性を考えたことはおそらくなかった。


この冷やし坦々麺事件(?)から、辛いものはおいしくない、に限らず、何度か「これはこう」という経験をすると、「これはこう」というのが自分の中で枠として固定されがちだなあということを考えた。

たかが二十数年生きたくらいの経験で「これはこう」と決めてしまうのはあまりに浅はかだなあ、と思った。 僕が言えるのはあくまでも「これはこういう傾向があるらしい」程度のことなのに。

僕はかなり臆病な方なので、はやく決めてしまいたがる。それは枠を組んでそういうことにしておけば決断すべき事柄が減って楽だからだと思う。


しかし一方で、楽をするのが悪いことだとは思わない。何も枠を持たず生きていたら、何かをしようとするごとに考え込んでしまって、何もできなくなってしまう。もちろん、器用でない僕の場合は、だが。

器用な人は枠がなくたって何もできなくならないのかもしれない。

 

問題となるのは、楽をすることでなく、楽をしているという自覚がないこと、つまり自分がどのような枠組みのなかにいるのかを知らないことだと思う。


またまた一方で、この話でむずかしいのが、枠が組まれるのはほとんど無意識のうちのことなのに、それを外れるには何かしら意識が必要ということだと思う。

 

せめて、いつの間にか作られた枠を超える、破る、そのような人や物や事に向かって行くようにしていたいと思う。