ふちどり

なんでもない日々

いつまでも泣いているけどごめんね

 

たのしみを、よろこびを奪うな、という話はよく聞くけれど、かなしみを、さみしさを奪うな、とはあまり言われない。むしろかなしみを取り去ってやることは良いことのように語られることすらある。

かなしんでいる人を見るとどうしても見ている方はつらいので、もう泣くのやめなよ、大丈夫だよ、などと言ってしまうのだろうけど、たのしむのと同じくらいかなしむのが必要な人がいる。あるいはそういう時間が必要な場合がある。世の中にどれくらいそういう人がいるか知らないけれど、少なくとも自分はそういうのが必要な質だ。

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涙が溢れてとまらない時、こうすると涙がとまるよ、こうするとかなしいこと考えなくて済むよ、と教えてくれる人がいるけれど、いつも(そうじゃない……)と思う。かなしみを取り去ろう忘れさせようとしてくれるその気持ちはほんとうにほんとうにありがたいことなのだけれど、どうか、かなしませてくれ、と思う。そんなのはわがままなのかもしれない。かなしんでいる暇なんてないのかもしれない。人生をめいっぱい使って、たのしいことをすべきなのかもしれない。

それでもやっぱり、どうか今暫くは、かなしませてくれ、と思う。かなしんでいる自分のそばに、ただそこにいてほしい、と思う。けれどそんなしんどいことをさせるのは酷だから、せめて自分がそのような人になりたい、と思う。かなしみも、よろこびも、それは具体的な形をもって外に現れる物ではないので、誰かによって取り去られたり与えられたり、なんてできっこないのだ。それはその人の内側に存在する何かで、その人そのものとはどんな道具を使っても切り離せないもの。